アニメーター・香川久さんへインタビュー

今回はアニメーターの香川久さんにインタビューをさせて頂きました。

香川さんは、1992年から約5年間放送されたTVアニメ「美少女戦士セーラームーン」シリーズで作画監督をやられていた方です。毎回の放送で何度も目にするセーラームーンのムーンスティックを使った必殺技やセーラージュピターの変身などの原画は、香川さんが担当しています。

TVアニメは個性派揃いの作監が揃っており、各話の作画も楽しみの一つでした。熱心なファンの間では、絵を見てどの作監かわかるファンも多いことでしょう。香川さんの作監回で描かれるキャラクターたちは、どれも可愛く信頼の安定感がありました。今回は、当時どんなふうに作品作りをしていたのかも聞いていきたいと思います。

新人時代から作画監督までの道のり、
何度も出てきた「負けたくない!」という言葉、
シビアな環境下で絵を描き続ける大変さ、
積み上げてきたキャリアが導き出したものとは。

目次

小さい頃から絵を描くことが好き

子供の頃は、山育ちで周りに友達もいなかったので、絵を描いて暇をつぶしていました。描いていたのはマジンガーZやゲッターロボなどです。人物よりも立体物に対する興味が強かったですね。紙や発泡スチロールを使った工作も好きでした。見ていたアニメも「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「機動戦士ガンダム」など、ロボット物全般です。

中学の頃は、絵を描くことに自信を持っていて「僕は絵が上手い!」と思い込んでいました。でも、絵が上手かったのは、僕だけではなかったんです。 友人にガンダムを色鉛筆の重ね塗りで立体的に描いていた奴がいました。周りからも「凄い!凄い!」と言われていて、僕としては、ちょっと悔しかった思い出があります。

姉の影響もあって、少女マンガのアニメも普通に見ていました。「花とゆめ」とか「別冊マーガレット」も読んでいましたよ。「伊賀野カバ丸」とか大好きでしたね。

――― アニメーターというよりもマンガ家になりたかった ―――

高校卒業後の進路は、推薦入学で九州の大学のデザイン科に行くことに決まっていたのですが、「アニメの専門学校に行きたい!」と思い直して、ギリギリになって大阪美術専門学校アニメーション科に変更しました。

アニメーション科に行きましたが、先生は人形アニメーションを学ばれていた方だったので、アニメの作画というよりも『デッサン』『造形』『写真』が授業の主な内容でした。この頃の僕は、マンガ家になりたいと思っていたんです。アニメーション科に行けば、マンガ家への道が開けるんじゃないかと思ったんでしょう。まだ漠然とした夢の様なもので、深くは考えていなかったと思います。

就職活動の時は、同じクラスの人間とキャラクターグッズのデザイン会社なども受けました。みんなで落ちましたけどね。(笑)

最終的には、アニメ会社の作画募集が唯一あったムッシュ・オニオン・プロダクションに入社したんです。入社といっても、基本給も何も無く、完全出来高制のバイトみたいなものでした。だけど、卒業段階で絵を活かせる次の選択肢がなかったので、「ツテもないし、オニオンに行ってみようか。」と入社を決めました。

目は肥えていくのに技術が追いつかない

オニオンは、試験や面接もありましたが、人手不足だったので来るもの拒まずな会社だったんです。

アニメの作画会社に就職しても、まだマンガ家になりたいという思いはありました。「1年位アニメの仕事をやったら、アニメをやりながらマンガのストーリーを考えて~」と、バカみたいに漠然と考えていたんですよ。結局は、仕事をやって食っていくので精一杯でしたね。

仕送りはあったと思うんですけど、仕事で覚えることが山程あって大変でした。新人はまず、動画という仕事をやるのですが、最初は全然つまらなかったんですよ。人の絵をなぞることに、楽しさを感じられませんでした。動画の奥深しさがわかるようになるのは、「原画よりも良い絵を中割で描こう!」と意識するようになってからです。

家に帰れないのも嫌でしたね。帰ろうと思えば帰れるんだけど、同期のみんなが帰らなかったんです。「僕だけ帰ったら、取り残されるんじゃないか?」という不安から、帰りたい気持ちは抑えて、みんなと同じように残って絵を描いていました。毎日が合宿のようで楽しかったこともありましたが、アニメを仕事にする大変さが身に沁みてわかってきた時期でしたね。

あの時はまだ、みんな一気に原画に上がるんじゃなくて、「彼と彼を原画に~」と選出されていたんです。動画をやっていた時は、仲間って感じでしたが、原画をやりだしてからは、ライバル意識みたいなものも芽生えていたように思います。「負けたくない。」「生き残ろう。」と思うようになっていました。

頭ではわかっていても、思うように描けないことも多かったです。どんどん目だけ肥えていって、技術が追いつかない時は、特に辛かったですね。イライラしていた時期もありました。その時は、無理やり数を引いてこなすことで、なんとか力に変えようとしていました。

精神的に苦しい心境で原画をやっていたので、褒められて次にまた原画をやらしてもらえた時は、嬉しかったですね。当時は、今みたいにテロップで、20人30人が出る時代ではありません。実際には、原画を10人位でやっていても、テロップに出るのは3~5人程度と限られていました。数をこなした人がテロップに出るなら、「数を無理やり引こう。」と思いましたね。「描かないと!」って。

アニメの仕事を学んでいくと、「マンガ家なんてとんでもない才能を持っている人じゃないと無理だな。」とわかってきました(苦笑)。

――― 見切りをつけて辞める人は多かった ―――

アニメの仕事って頭がいい人だと見切ると思うんですよ。当時は完全な出来高だったので、生活が出来なくなることがあったんです。親に「いい加減もうそんな仕事やめろ!」と言われていた人達もいました。「自分は演出になるんだ!」など目標が明確にないと、先々を想像して陰々滅々となってしまうこともあったようです。23~25歳ぐらいで見切りをつけて辞めていく人達はたくさんいました。

――― 天才だと思っていた人も描けない時がある ―――

オニオンには、僕の師匠としてお世話になった方々がいます。動画の時は君塚勝教さん、原画の時は羽山淳一さんです。

羽山さんの絵を見た時は、「同じ鉛筆でこんなに描けるのかー!」と衝撃を受けました。同期だけの環境だと、絵も似たり寄ったりで、今までは凄い絵を目の当たりする機会がなかったんです。羽山さんがどんなふうに描いているのかを、後ろから見ることが出来たのは、とても勉強になりました。特に、「羽山さんにも描けない時があるんだ。」と知れたのは大きいですね。

僕は羽山さんを「天才だ!」と思っていたんですよ。いってしまえば、天才ってなんでもスラスラ描いているイメージでした。だけど、相当苦労しているんですよ。ある時、絵を描いている途中で羽山さんが「ダメだ!」って言って、ぐちゃぐちゃってしたことがあるんです。僕から見れば良い出来ものだったけど、「誰でもらくらく描いているわけではないんだな。」と思えたんです。天才のように見える人でも、努力しているということを知らなければ、僕は途中で挫けて辞めていたかもしれません。

年齢も近く、圧倒的な実力の差が悔しい時もありましたが、目標となってくれたことに感謝しています。羽山さんと同じことは出来なくても、「頑張ろう!」という向上心を得ることが出来ました。

目指していた一つの目標に到着

今は「作監をやりたい!」という人は少なくて、作監より原画で凄い絵を描く人がアニメーターというような環境になっています。だけど、当時は今よりアニメの本数がなく、作監になれる機会も少なかった時代です。作監は作画の頂点だと思っていた僕は、作監を目指して頑張っていました。

僕が初めて作監をやったのは、4年目の時です。1989年に放送されたシリーズ2作目の「魔法使いサリー」という作品でした。サリーには、もともと別の方が作監として入っていたんです。その方は、設定のサリーよりめちゃくちゃ格好良いシャープな絵を描く方でした。だけど、絵が似てないということから、僕に交代という話が来たんです。昔は今みたいに総作監が入らないので、ある程度バラつきを抑える必要があったんだと思います。

作監になると、サリー漬けの日々が始まるんですよ。2作目のサリーは結構優等生という感じだったので、硬い印象があったんです。僕はサリーの作監をやる前に、「ひみつのアッコちゃん」のリメイクの原画をやっていたので、「アッコちゃんに近いのをサリーでやりたい。」と思いながら描いていました。原画には、馬越嘉彦くんが入ってくれています。最初は不安でしたが、目標にしていた作監になれたことは、僕にとって大きな自信になりました。

――― フリーになることも考えた ―――

僕は、アニメ会社というとオニオンしか知りませんでした。だけど、色んな横の繋がりが出来てきて、「うちの会社は単価がよくないぞ。」というのがだんだん伝わってきたんです。

そんな時、オニオンにいた仲間内が社長との折り合いが悪くなって「みんなで辞めよう。」ってなったんです。当然「辞めたあとどうする?」という話にもなるんですが、僕は「フリーで行けるんじゃないか。」と思ったんですよ。サリーで若くして作監をやった自負もあって、調子に乗っていたんだと思います。

話し合っていく内に、玉川達文くんがコックピットの演出と知り合って「コックピットいいところだよ!」みたいな感じで言ってきたんですよ。僕は「フリーになるぞー!」と意気込んでいたので、コックピットへの移籍については乗り気ではなかったんです。

結局は、オニオンの仲間がコックピットに行く流れになったので、僕もコックピットに行きましたが、早い段階でフリーにならなくて良かったと思いましたね。僕は、オニオンから東映アニメーションへ出向して仕事していたので、オニオンを退社した後すぐには東映の仕事は出来なかったんです。しばらくはサリーの演出の方に、他の仕事を紹介してもらっていました。フリーだと仕事を継続的にやっていくのは、更に難しかったと思います。

「美少女戦士セーラームーン」の作監としての日々

サリーの製作担当だった樋口宗久さんが、今度は「美少女戦士セーラームーン」に携わるという話を耳にしました。

コックピットでは、グロスで「きんぎょ注意報!」をやっていた1班が、セーラームーンをやるという流れになっていたんです。この班は、もともとコックピットにいた人達の集まりだったので、僕は加わっていませんでした。 だけど、2回目のローテンションが来る前に、樋口さんから僕に作監の交代という話が来たんですよ。サリーに続き、入れ替わる形で作監をやることになりました。作監の仕事は、ある意味別の人から奪うような感じで得ていたので、それ以上の仕事をしなければとプレッシャーがありましたね。

――― 佐藤順一さんと組んで緊張した1本目 ―――

まず、1本目(第14話「新たなる強敵、ネフライト魔の紋章」)の演出が佐藤順一さんだと知った時は、凄く緊張しましたね。佐藤さんは、演出なのにめちゃくちゃ絵が上手い方なんです。それに、佐藤さんは「凄い人」と聞いていましたからね。「頑張ろう!」「通用するのかな?」と思っていました。

初めての打ち合わせの時は、今でも覚えています。場所は東映の前にある喫茶店でした。その日は雨が降っていて、僕らは外から来ていたんで、傘を持ってたんですけど、東映にいた佐藤さんは傘持たずに向かうものだから「佐藤さんを傘に入れなきゃー!!」って。凄く気を使いましたね。年齢は5歳位違うんですが、当時も今も恐縮しています。

――― 竹之内・香川コンビが生んだジュピターの変身BANK ―――

第20話「夏よ海よ青春よ!おまけに幽霊もよ!」は、竹之内和久さんと組んだ回ですね。この回は、本筋とは関係ない話で、番外編として楽しく描いていましたね。

セーラームーンをやっていた当時は、製作担当である樋口さんの采配もあったと思うのですが、作監と演出のタッグみたいなのがあった気がするんですよ。幾原さん・伊藤さんコンビみたいに。竹之内さんとやった20話が、面白いと良い感触があったから、25話「恋する怪力少女、ジュピターちゃん」でも連続して一緒にやったんじゃないかと思います。

変身BANKに関しては、竹之内さんの絵コンテでおおまかな流れがありました。ポーズはカンフー映画の影響で中国拳法を意識しています。当時、エフェクトというものは、 あまり考えていませんでした。悩んだのは、稲妻をどうするかです。稲妻はバーンって落ちる数コマしか描いた経験がなかったので、「稲妻がずっとあるって、どうなるんだろう?」と考えました。体の流れよりも、稲妻に時間を費やしましたね。

「美少女戦士セーラームーンCrystal」でリメイクされているのを見ると、稲妻の作画が弾けたような感じになっていて、「ああ~こんなふうにすれば良かったんだな。」と思いました。当時は技術というかやり方がわかりませんでした。

ジュピターの変身は、おしりがエロちぃ感じになっています。あざとい考えで、ちょっとエロくある方が、人は注目するんじゃないかと、考えていたんでしょうね。スカートの下に何も履いていないようにB・L影を足してくれと言われた記憶があります。ここで1回転した後、左手の引き手とかも回りこんでいく中で、貯めというか力強い感じを意識しました。

必殺技は、アンテナが立ってアップから引いていくだけだったので、作画的にはぐるぐる回る変身に比べたら、楽だったような気がします。枚数的にも多くは使っていません。BANKに関しては枚数制限はない感じだったので、シートのタイミングとかも、その場その場で必死に考えていました。

女の子らしさが強いキャラクターは苦手意識があったので、ジュピターのような多少男っぷりのいいキャラクターで、BANK原画をやれたのは良かったです。男勝りだけど、女らしいギャップのあるまこちゃんには、愛着があります。

――― 他の作画班には負けたくない! ―――

セーラームーンをやっていた時は、「各話の他の作監に負けたくない!」というのが凄くあったんですよ。セーラームーンは、東映の社内でやっている作画班と社外でやっている僕らのようなグロスの作画会社で作っていた作品です。初期は「セーラームーン=スタジオライブ」でしたから、僕らはコックピットとして、べつに背負って立っているわけではないけども、「只野和子さんのライブ班よりも良くしたい!」という思いもありました。僕はどの作監にも負けたくない一心で描いていました。

――― 決めになるカットや大変な原画は作監の仕事 ―――

第51話「新しき変身!うさぎパワーアップ」は、幾原邦彦さんとの初タッグを組んだ回です。お花見の場面で、長いワンカットとなる引きの芝居は、「どうしても僕が原画をやらねば!」と思いました。今は制作が振り分けたりするんですけど、当時は作監が振り分けていたんです。羽山さんからの影響もあって、決めになるカットや大変な原画は、作監の仕事だと意気込んでやっていましたね。

幾原さんは「不思議な人だな。」というのが最初の印象でした。アニメ業界って僕のイメージでいうと、少し小汚いというか、風呂にもあまり入らないような感じだったんですよ。表に出ない裏方みたいなものだったのに、幾原さんでイメージが変わりましたね。アニメ雑誌などで、ビジュアル要素も含めて取り上げられていて、「凄いな。」と思いました。幾原さんの演出回は、何でもないシーンでもちょっとした小技や表情を芝居がついているんですよ。原画が演出を理解せず描いたものを、僕が通してしまった時は「なんかここの表情が~」とか細かくチェックが入りました。ダメな時はビシっとはっきり言う方で、指摘されて気付くこともありましたね。

確かこの話数の時に、実家の父親が亡くなったんです。その時「アニメの仕事やめるべきか?」と考えました。でも、うちの母親は「辞めて戻ってこい。」とは言わなかったんです。家の事情で辞めることを選択する人もいたんですが、僕はまた現場に戻ることが出来ました。今までと同じように絵を描き続けることが出来たのは、幸運だったと思います。

――― 伊藤郁子さんの絵の世界観は、緻密で独創的 ―――

S編でキャラデが只野さんから伊藤さんに変わりました。伊藤さんの絵は、僕にはすごく綺羅びやかで、特にはるかとみちるは描くのが難しかったですね。はるかは男の姿もあり、女の姿もあるので悩んで描いていました。

自分の今までの師匠は羽山さんでしたが、伊藤さんの仕事スタイルには影響を受けましたね。僕なんか何も考えずにやっているだけだったのに、伊藤さんの絵の世界観は、緻密で独創的でした。「アニメーターってこんな考えなきゃダメなのかな?」って思った程です。羽山さんはキャリア的に2年上なんですが、伊藤さんは年上でキャリアもあったことから、学ぶことが多かったです。僕の中では羽山さんの次に、伊藤さんの存在が大きいですね。

――― キャラクターの幼い頃や数年後の姿を想像するのは今でも楽しい ―――

劇場版「美少女戦士セーラームーンS かぐや姫の恋人」は、初めての劇場作監で凄く緊張しました。ルナを人間化するという武内先生の発想が面白いと思いましたね。武内先生のキャラクター原案も、「凄く可愛いな。」と思いました。僕のルナイメージは、うさぎ達より年上で少女という意識はなかったんです。ルナ自身もシリーズだとお世話係みたいな感じだし、うさぎちゃんに説教する場面などもありましたから。

この劇場版では、ルナが恋をしていくんですよね。アルテミスがいながら(笑)。顔は人間のキャラクターに近いんだけど、当時は猫も飼っていなかったので、猫で表情を出すのは難しかったですね。

爲我井さんと長谷川眞也くんには凄く恩義を感じているんです。劇場版の時、作業が間に合わないので、2人に入ってもらっていたんですね。でも、ポスターで名前を出す時に、僕の名前だけでっかく作監って出ていて、爲我井さんと長谷川くんの名前は小さくしか出ていなかったんです。 僕は「嫌だ!」って言ったんですよ。「作監の作業は3人で最後までやったから、パート作監として爲我井さんと長谷川くんも同列で出したい!」って。でも、修正されずにそのままになってしまいました。二人には凄く助けて頂いたので、「悪いな。」って思っています。

劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡」では、うさぎたちの子供時代を描くシーンは楽しかったですね。

設定資料
劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS」設定資料)

こだわったのは、まこちゃんの虫取りの網です。綺麗すぎるんじゃなくて、いっぱい使ったなっていう感じを出しました。レイちゃんの着物は苦労しましたね。今では素材を貼りこんだりしますが、手描きです。 幼少時代の原画をやってくれたのは、とみながまりさんでした。

設定資料
(劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS」設定資料)

この頃は、キャラクターの小首をかしげる絵を描くことのに、ハマっていました。ちょっとあざとい感じで、他の設定でもちょこちょこ描いています。こうやったら可愛く見えるなって思いながら描いていました。

設定資料
劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS」設定資料

キャラクターデザインを務めた「フレッシュプリキュア!」

セーラームーン以降、様々な作品を経て、古巣である東映に「フレッシュプリキュア!」のキャラクターデザインで声を掛けてもらいました。1年間の長期作品で不安はありましたが、意気込んでやった作品です。こちらについてのお仕事内容にご興味のある方は、2016年7月23日発売の「プリキュアワークス」をご覧下さい。



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香川 久 東映アニメーションプリキュアワークス

積み上げてきたキャリアが導き出したもの

キャラデザをやる時のこだわりは、シルエットを重視することです。線が多すぎて本来重要な所がおざなりになるよりは、ある程度シンプルなデザインが良いと思います。今のアニメの絵って繊細なんですよ。自分が歳を取ったせいもありますが、そこで消耗したくないんですよね。ただ、見ている方からすれば、密度の濃い絵に目が慣れちゃっている部分もあるから、難しいところです。

手描きのアニメだけじゃなくて3Dのアニメもあったりして、情報量は増えていく一方ですからね。ニーズがない限り仕事はないので、ニーズに応えていけるような意識は持ち続けたいです。

作監をやる時のこだわりは、なるべく全修をしないことです。コンテを理解していない場合やカメラアアングルが違うなど、最初からダメなときは全修になってしまいますが、もとの上がってきた原画マンの良い所を活かして、修正したいと思っています。

昔作監をやっていた時は 全部同じテンションで、どのシーンもどのカットもやらなきゃいけないと思っていました。最近は、話の重要な部分を見極めるようにしています。演出の方でも話の緩急を付けてくれていると思うので、それを見逃さないように、作画の方でもガン!とテンションを上げて描くように意識しています。

原画をやる時は、作監に迷惑をかけないように気をつけています。(笑)僕が「キツいな。」って作監をやっていて思うのは、ラフで丁寧でもプロポーションと等身があっていない時です。例えば7等身あるキャラクターを、5等身で描かれると、全修になってしまうんですよ。等身さえ合っていれば部分修で済むので、プロポーションと等身だけは最低限合わせることですね。

作監だと全体を見るんだけど、原画だとシーンやポイントだけなので、打ち合わせの時に「ここはあぁ~なって、ここの立ち位置だから~、この芝居をするから~」と、ある程度の原画の枚数や芝居の方向性を頭の中で考えます。その時「あれ?おかしいな。引っかかるな。」と思う時は、打ち合わせの時に、演出の方に「ここはどういうことなんでしょうか?」と質問します。自分の想像したものが正しいのか確認することも大切だと思います。

作監の時もそうなんですけど、打ち合わせは疲れます。昔はコンテ見ながらふわ~って感じでやってましたが、早めに組み立てていた方が楽だと今では思います。

――― アニメーターという仕事について ―――

速いスピードで沢山の絵を描くのは、大変な仕事です。1枚絵とは違うこだわりどころが、沢山あります。描きやすい絵ばかりではないので、自分が苦手な所はだんだんわかってきます。逆に苦手意識がある分、吸収しようと思えるなら、ある程度は描けるようになるんですよね。でも、そこから先はセンスになります。人真似でも出来ることに限界はあると思いますが、ある一定水準まではやれるようになるはずです。

自分の原画がどれくらい通用するのかを試す意味でも、自分がキャラデザをする時は描かないようなキャラクターを描くことも大切です。僕は常に昔の自分に負けないように考えています。それを失うと前に進めなくなると思うからです。

絵を描くことは、生きる為の術

僕にとって絵を描くことは、生きる為の術です。最大の楽しいことであり、辛いことだと思います。そして、コミニュケーションツールの一つであり、唯一、人が喜んでくれることだと思います。

絵を描き始めたキッカケは、親や友達が喜んでくれたからです。それは今も変わりません。でも、仕事でやっている限りはシビアにやっていけたらと思っています。

――― これからの挑戦 ―――

最初はマンガ家になりたいという夢があったので、難しいとは思うけど、オリジナルの話をアニメで出来たらいいなと思っています。業界自体もオリジナルが出来るような環境ではないんですが、出来る機会があればやりたいなと思っています。あとは、老害と言われないように人に迷惑をかけないように頑張って絵を描いていきたいです。(笑)

今はTwitterで絵をアップするようになったこともあって、1枚絵にこだわるようなイラストも描きたいと思っています。

あとがき

香川さんが保存会のホームページで掲載する色紙を描いて下さいました!香川さんによる2016年版のセーラームーンとジュピターです。



香川さん、この度はお忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしています。

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香川さんの作画監督回リスト

<90年代に放送されたTVアニメ「美少女戦士セーラームーン」シリーズより>

第14話「新たなる強敵、ネフライト魔の紋章」
第20話「夏よ海よ青春よ! おまけに幽霊もよ」
第25話「恋する怪力少女、ジュピターちゃん」
第32話「海野の決心! なるちゃんは僕が守る」
第38話「雪よ山よ友情よ! やっぱり妖魔もよ」
第44話「うさぎの覚醒! 超過去のメッセージ」

第51話「新しき変身! うさぎパワーアップ」
第70話「愛の炎の対決! マーズVSコーアン」
第85話「暗黒の女王 ブラックレディの誕生」

第92話「素敵な美少年? 天王はるかの秘密」
劇場版「美少女戦士セーラームーンS かぐや姫の恋人」

第130話「守れ母の夢! Wムーンの新必殺技」
第135話「触れ合う心! ちびうさとペガサス」
第141話「恋の嵐! 美奈子のフタマタ大作戦」
第147話「運命のパートナー? まことの純情」
劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡」